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人として…

2013年05月23日

「人が人であることの意味」を珍しく考えてしまった。
将棋電王戦。
現役プロ棋士とコンピューターソフトの対決は、人間の1勝3敗1分。
コンピューターソフトが勝ち越した。

ここは驚くべきなのだろうか?
いや、チェスではすでに人間の世界チャンピオンが負けている。
将棋界でも、すでに引退しているが、米長邦雄さんが負けている。
将棋ソフトは日々能力を上げているのだから、プロ棋士が負ける日が来るのは当然の流れじゃないのか?
驚きはない。

それじゃ、コンピューターに敗れて憔悴した「天才」たちを見るだけのイベントかというと、そうではない。
もっと、志の高いぶつかり合いに見えた。

最終戦で三浦弘行八段を破ったソフト「GPS将棋」の開発者・金子知適氏のインタビューが読売新聞に掲載されていた。
形勢判断について述べている。
「コンピューターはプロ棋士の棋譜を分析し、指し手の背景にある感覚的な形勢判断を身に付けています」。
GPS将棋には「感覚」がある、と言っている。
もちろん、学習によるものだけど、それは人間とどこが違うのか?

一方、人間の1勝は、将棋ソフトのバグを突いたものらしい。
将棋ソフトにはバグがある。
しかし、膨大なデータ解析から、人間が考えたこともない指し手を見つけ出す。

機械が人間を追い抜こうとする時、その対決から人間と機械双方の弱さと強さが浮き彫りになる。
そこから、双方にとってプラスになる、何か貴重なものが生まれるのではないだろうか。
勝ち負けとか、追い抜く追いつかれるとかを超えた、人間と機械の新たな可能性の発見。

私は将棋も囲碁も、ルール程度しか知らない。
囲碁は子どものころ、アマチュア5段の父親から手ほどきを受けたが、毎度毎度コテンパンにやられた。
父親はまったく容赦しない。
嫌になって、やらなくなった。
私は単に根気のない「人」だった。

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